伝統医学的な概念として、人の体は、内臓、四肢、百骸(百の骨)、五官、皮毛、筋・肉、血・脈などで構成されていると考えられています。このうち、内臓は、その性質と機能(中味が充実していて重要な働き)から、肝、心、脾、肺、腎の5つを“臓”と。胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦の6つの“腑”(中空で空間がある)に分けられます。“三焦”という耳慣れないものがあったり、膵臓がなかったりしていますが、西洋医学のそれとはまったく別の概念で、これは、杉田玄白らがオランダの解剖書を翻訳する時に、伝統医学の用語を無理に当てはめたためです。“膵”という字や“神経”という用語は、翻訳のときに新たにつくられたものです。伝統医学でいう“臓腑”は生理機能の面からとらえ、西洋医学では、内臓を物質とみているので、同じ名称でも同一ではなく、置きかえることはできません。
五臓六腑の生理を語るとき、そのもととなる原理は五行説です。あの五行説の相生・相剋関係を思い出してください。
五臓はお互いに、支配したり支配されたりしているので、単独で1つの内臓だけが異常になることは少ないです。伝統医学では、内臓を単に解剖学的な内臓としてではなく、さまざまな物質代謝や精神活動と関連した機能単位としてとらえているのです。各内臓が病むと、特徴のあるサインが現れるので、それを見逃さないようにすることが非常に重要なんです。
● 肝は脾に強く肺に弱い。腎が親
● 心は肺に強く腎に弱い。肝が親
● 脾は腎に強く肝に弱い。心が親
● 肺は肝に強く心に弱い。脾が親
● 腎は心に強く脾に弱い。肺が親
「肝」
肝は病邪に対して抵抗する機能を発揮する臓器で、血液を貯蔵し、全身の血液分布を調節する。さらに、中枢神経系(自律神経)の活動と関係がある。従って、ストレスを受けたり、機能が低下すると、怒りやすくイライラしたり、その他の神経症状が生じる。また、爪に異変(割れ)が起きたり、目や筋肉に異常が生じやすい。
「心」
心は五臓六腑の大主で、生命活動を主宰し、最も重要な臓器である。血液を循環させ、中枢神経の機能活動を管理していると考えられる。また、発汗や舌の変化(異常)とも密接な関係にある。
「脾」
脾は消化器系統の機能を持ち、飲食を消化し、その精徴なもの(栄養物質)を全身へ輸送する。脾の機能が低下すると、水分代謝障害や肌肉をおとろえさせ、口唇に異常があらわれる。
「肺」
肺は呼吸をつかさどり、人体内の気体交換の器官である。空中より取り入れた清い空気(天空の気)は、飲食物から産み出された水殻の気(地の気)と結合し、各臓器に送られ、全身の気(元気、真気)を統轄する。また、体液を調節、調整させる。肺が邪を受けると、風邪をひいたり、鼻がつまったり、便秘をしたりする。
「腎」
腎は精を貯蔵する。精は生殖と成長発育を維持する基本物質で、先天の精と後天の精があり、臓腑と各組識を滋養する。また、骨と髄を滋養するので歯や頭髪・聴覚・大小便などの異常としてあらわれる。
五臓の異常時のサイン
肝――・怒りっぽくなる・筋が痙れんしやすい。・目の異常・精神の不安定
心――・汗をよくかく・舌の先端が赤い・過剰に喜ぶ・不眠
脾――・手足が黄色くなる・出血しやすい・食欲異常・よだれをよくたらす
肺――・世を憂い、悲しみやすい・色白になり、 皮膚病になりやすい・涙や咳が出る
腎――・老化現象全般・頻尿・集中力の低下・驚いたり恐れたりしやすい
六腑とは、胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦の6つの腑で、臓が“陰”で“裏”に対し、六腑は“陽”で“表”です。
「胆」
清汁(清浄な液)を貯蔵し、分泌して消化を助けます。他の腑は濁を貯留・輸送するのに対し、胆だけは清汁のみを貯蔵・輸送します。人の行動力(決断)は胆がつかさどります。従って、機能が低下すると、決断力がにぶったり、物事に怯えたりします。
「小腸」
胃の初歩的な消化を経た飲食物をさらに消化し、栄養物を吸収した後、脾の作用によって全身へ滋養し、吸収後のカス(濁)を大腸と膀胱に送ります。
「胃」
胃は飲食物を受納し、初歩的な消化をし、小腸に送る。胃の機能が低下すると、ゲップ、嘔吐などの症状が現われます。
「大腸」
小腸が分離した残渣(濁)を、一部の余剰水分と養分を吸収して、糞便を形成して排泄しま。
「膀胱」
腎による体液(津液・血液)調節の結果、生成された尿を貯留し、排泄します。機能が低下すると、排尿異常が生じやすいです。
「三焦」
物質的な器官ではなく、総合的な機能を持つ。部位(ゾーン)とその機能をいい、そのゾーンは上・中・下の3つからなります。
“上焦”は、舌下から胃上口(噴門部)までのゾーンで、心と肺の輸送・配布作用。
“中焦”は、胃上口から胃下口(幽門部・へそ)までをいい、脾胃の消化・吸収・輸送機能。
“下焦”は、胃下口から二陰(陰部)までをいい、腎・膀胱の排泄作用。
これで、臓と腑のそれぞれはわかったでしょう。それらは表裏の関係で、単独で切り離して考えることはできないのです。
“肝と胆”
肝と胆は計画と実行みたいな間柄で、胆が衰えれば行動力、決断力が鈍り、肝の思考計画も実行不能となる。ことわざに「肝胆相照らす」などがあります。
“心と小腸”
具体的にははっきりしていないですが、心に熱があれば排尿痛や血尿が現れてきます。
“脾と胃”
脾は、胃で消化されたものから精気を抽出し、体の各部に輸送するので、胃の病変は脾に影響し、脾の異常は胃の働きを阻害します。
“肺と大腸”
痰がつまり、肺に異常が生ずると、しばしば便秘や下痢などの症状を引き起こします。
“腎と膀胱”
膀胱中の尿は、腎気の作用により排出されます。腎臓疾患で、よく尿停滞や尿失禁などが起きます。
五臓六腑のほかに、内臓を構成しているものに“奇恒の腑”があるのです。“奇恒の腑”には、脳、骨、髄、脈、胆(六腑の胆)、女子胞(子宮)があり、形は腑に類似し、役割が臓に類似しているが、どちらとも異なる働きで例外的な腑(奇恒の腑)といっているのです。
その特徴は、比較的深部にあるが、他の臓腑と組みあうことがなく、汚濁物を貯蔵しない。胆だけは、肝と組みあうが、胆汁は清浄であるから、奇恒の腑に入っているのです。(このあたりは、かなり理解しにくい点です。)
始めにも言ったように、西洋医学でいう臓器の名称(心臓・肝臓など)は、伝統医学の臓腑の名称を参考にしたものですから、どうしても混乱する場合が多いです。あくまでも、伝統医学では、臓腑の生理や病理も有機的総合体として考えています。